• 雪の降る深夜、匂宮(今上天皇の皇子)宇治山荘を訪問に屏風越しに中の君(八の宮の姫君)と対面・自筆「源氏物語」総角の原文・茶道86B
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定番のお歳暮 雪の降る深夜、匂宮(今上天皇の皇子)宇治山荘を訪問に屏風越しに中の君(八の宮の姫君)と対面・自筆「源氏物語」総角の原文・茶道86B 染錦
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定番のお歳暮 雪の降る深夜、匂宮(今上天皇の皇子)宇治山荘を訪問に屏風越しに中の君(八の宮の姫君)と対面・自筆「源氏物語」総角の原文・茶道86B 染錦

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定番のお歳暮 雪の降る深夜、匂宮(今上天皇の皇子)宇治山荘を訪問に屏風越しに中の君(八の宮の姫君)と対面・自筆「源氏物語」総角の原文・茶道86B 染錦
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商品の詳細

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不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款

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「香煙引到楚香処」白氏文集の有名な漢詩

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仙台藩医・木村寿禎の落款

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原本の断層画像写真

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琵琶を弾く匂宮と中の君(拡大/国宝)

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宇治川を眺める中の君と匂宮(今上帝の皇子)

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左は薫の君、右は大君と中の君(総角の絵)

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大君・中の君姉妹と匂宮(網代車・宇治)

京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵

自筆「源氏物語」の「総角(あげまき)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。

「総角の巻」の主人公は、源氏の君と女三の宮の皇子・薫の君と今上帝天皇と明石中宮の皇子・匂宮のきらびやかな恋物足りが描かれている

自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。現在の今上天皇と系譜がつながっている。

 関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。(資料の記録は下記に掲示)

 出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。
 自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。また、各巻ごとの書かれた年については不明。従って、応永五年とは、書き始めの年である。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。


 大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。

 旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。


 出品した「源氏物語」は総角(あげまき)の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。総角の巻は、源氏の君と女三の御子、薫の君と今上天皇の皇子・匂宮の恋物語を描いております。大君と中の君の姉妹は、朱雀院(前朱雀天皇)の弟・八の宮を父とする。八の宮のなきあと宇治にこもる大君と中の君の姉妹のうち、大君との結婚を望む薫の君(母は、前朱雀天皇の皇女・女三の宮)は老女房の弁たちの手引きで大君の寝所に入るが大君は気配に気づき隠れてしまう。大君の意思を知った薫の君は中の君を匂宮(今上天皇と明石中宮の皇子)に紹介し結婚させようと考え、九月のある夜ひそかに匂宮を宇治に案内し、中の君と逢わせてしまう。しかし、母后・明石中宮に反対され、その後は身分柄思うように宇治を訪問することができない。大君と結ばれぬまま終わった薫は深い悲嘆に沈む。一方、薫の君の悲しみを人伝てに聞いた明石中宮は、「ここまで想われる女人の妹姫なら、匂宮が通うのも無理はない」と思い直し、匂宮に「二条院へ妻として迎えても良い」と認めた。匂宮は、中の君を京の二条院に引き取る決意をする。


自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)

原本自筆上部に「香煙引到楚香処」(香煙引き到る、楚香の処)という漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白楽天」のうち「李夫人(りふじん)」の中の有名な一節である。この漢詩は、「反魂香(はんごんこう)」としても広く知られている。前漢の武帝王が美しい李夫人の死をいたみ「反魂香」を九華帳(漢王の寝室にかける,幾重もの花模様のついた,美しいとばり)の中で香を焚くと、美しい夫人の魂が煙に導かれ魂を呼び返してその姿を煙の中に夫人の姿が現われる。紫式部が「総角」を書くに際し、「白楽天」の漢詩を読み理解したうえで、「総角」の中の「大君が父君の八の宮を呼ぶべき煙がほしい」という意味から原文の中で、「人の煙にありけむ香の煙そ、いと得まほしくおほさるる」と書いていることから紫式部が「白楽天」のうち「李夫人(りふじん)」の「反魂香(はんごんこう)」の漢詩に共鳴していることがよくわかる。詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)

大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載

《「源氏物語」総角(あげまき)の巻》
「総角」の巻は英文で「Trefoil Knots」と表記されます。
《自筆上部の「香煙引到楚香処」(香煙引き到る、楚香の処)という漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白楽天」のうち「李夫人(りふじん)」の中の一節です。この漢詩は、「反魂香(はんごんこう)」としても広く知られている「白氏文集」の中の有名一節です。》

「額縁入自筆原本」
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)

「自筆原本」
自筆右下の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子と娘・幾千姫(玉映)の落款。

自筆上部の「香煙引到楚香処」(香煙引き到る、楚香の処)という漢詩文の落款が押捺されている。
この漢詩は「白楽天」のうち「李夫人(りふじん)」の中の有名な一節です。

《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。》

自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)


自筆が「古切」とされたのは江戸時代。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載

(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。


《「源氏物語」総角(あげまき)の巻》
《「香煙引到楚香処」(香煙引き到る、楚香の処)という漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白楽天」のうち「李夫人(りふじん)」の中の有名な一節で「白氏文集」に由来するものです。》

《「心くるし」と、》・・・・見給(たま)ひて、まめやかにとふらひ給ふ。
 「ありしさまなと、かひなきことなれと、此(この)宮にこそは聞えめ」
 と思へと、うち出てんにつけても、いと、心弱く、かたくなしく
 見えたてまつらんに憚りて、言少なゝり。ねをのみ泣きて、
 日數經にけれは、顏かはりのしたるも、見くるしくはあらて、
 いよいよ、物清けに、なまめいたるを、「女ならは、かならす心移りなん」
 と、おのかけしからぬ心ならひに、おほし寄るも、なま後めたかりけれは、
 「いかて、人のそしりもうらみをもはふきて、京に移ろはしてん」
 と思す。かく、つれなき物から、うちわたりにも、
 聞(きこ)しめ(召し)・・・《て、いと、あしかるへき》


(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。



(2)・自筆の「原文の現代語訳文」は次の通りです。


《「源氏物語」総角(あげまき)の巻》
《桐壺天皇の皇子・八の宮の御子・大君と中の君と薫の君、匂宮の恋物語》

《薫の君、宇治の大君(桐壺天皇の皇子・八の宮の姫君)の邸を訪ねる》

《雪の降る深夜、匂宮(今上天皇の皇子)宇治山荘を訪問に屏風越しに中の君と対面》

《中納言(薫の君)がこの邸(やしき・宇治山荘)の主人(あるじ)顔(がお)に住みなれて、
女房たちを気安く召し使ったり、女房の大勢に食事の給仕をさせたりなどしておられるのをごらんになって、
宮(匂宮・今上天皇の皇子)はしんみりした気持になられるが、また一方おもしろくもお感じになる。
中納言(薫の君)がほんとにひどくやせ青ざめて、まるで気の抜けたように消沈しているので、
宮(匂宮・今上天皇の皇子)はいたわしくお思いになり、・・・・心からおくやみをお述べになる。
中納言(薫の君)は、姫宮(桐壺天皇の皇子・八の宮の姫宮・大君)の生前のご様子などを、
いまさらどうにもならぬことながら、この宮(匂宮・今上天皇の皇子)にだけはお話し申そうと思う。
そうはものの、それを口にするにつけてもじっさい意気地がなく愚かしい男と思われ申そうかと
気がねされるので、そう多くはおっしゃらない。
中納言(薫の君)は、毎日を泣き暮してばかりお過しになったので、お顔の相も変っているが、
それも見苦しくはなく、ますます清楚(せいそ)な感じでみずみずしくお見えになる。
それを見た宮(匂宮・今上天皇の皇子)は、
(匂宮・今上天皇の皇子)「中納言(薫の君)を女ならきっと心ひかれずにはいられまい」
と、ご自分のけしからぬご性分からお気をまわされる。
それにつけても、宮(匂宮・今上天皇の皇子)は、なんとなく心配になってきたので、
なんぞして世間の非難や左大臣方のうらみを受けないようにして、
この女君(桐壺天皇の皇子・八の宮の姫宮・中の君)を
京に移してしまおうとお思いになる。
 宮(匂宮・今上天皇の皇子)は、こうして女君(桐壺天皇の皇子・八の宮の姫宮・中の君)から
冷淡にされているけれど、いつまでもこちらにとどまっていることが
宮中に聞えもしてはひどく・・・・《不都合なことになろうとあれこれお案じになって、
今日のところは都へお帰りになった。》

現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)

備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。




(2)・自筆の「英訳文」は次の通りです。


《Trefoil Knots (総角)》


英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)


Niou offered genuinely felt condolences.
Kaoru longed to talk about the dead girl, knowing well the futility,
but he cut himself short, lest he sound like a womanish complainer.
The days that had been given over to tears had changed him,
but not for the worse.
His features were more interesting, more cleanly cut than ever,
thought Niou, sure that he himself would find them attractive were he a woman.
Further evidence of his deplorable susceptibility, he could see.
He turned his thoughts to Nakanokimi.
How, without calling down malicious slander upon himself,
could he move her to the city?
She was being difficult, but to stay another night would certainly
mean displeasing his father; and so he started back.

(2)・自筆の「中国語訳」は次の通りです。


《総角》
匂王很可怜他,重地向他慰。大女公子逝世情状,
言之然无益,但薰中言很想向匂王。
既而得起来心甚。又恐匂王笑他迷不悟,
因此他很少。薰中言天哭泣。日子既久,
面貌也了相,却反而比前更加清秀了。匂王想道:
“此人是女的,我必然会恋慕之心。”
原是他的怪僻的邪念,但他因此而担心起来,
打算在不受他人及怨恨的情况下叫二女公子移居到京都去。


中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
注記・中国語の文字の一部がシステムの関係で反映されない場合があります。この場合、落札後に正確な中国語の文字を記載した中国語訳文を交付いたします。


「総角の巻」原本の末尾(原本番号88-B)の印は、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印
左の写真2枚が「源氏物語」総角の巻の末尾(原本番号88-B)右面と左面の押印。
写真一番左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。冬姫は内大臣・通誠の養女。
冬姫は通称。正式な名は伊達貞子。左端の写真は「総角の巻」末尾の拡大写真。
左上の篆書体は、「香煙引到楚香処」(香煙引き到る、楚香の処)の押印。
篆書体の下の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
写真左から2枚目上の2つの印は仙台藩医・木村寿禎の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。)


自筆の疎明資料等は、下記の通りです。


(Ⅰ)・上の写真右端は、高松宮「源氏物語」のうち「桐壺」の巻冒頭・(出典資料 別冊「太陽」「源氏物語絵巻五十四帖」(平凡社・刊)78頁。筆者は近衛関白政家公。中央の写真は、応永五年(1398)の年号。年号の左の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)。左の写真は、桐壺の巻の奥付。左大臣から関白に昇進した近衛基熙(もとひろ)公の花押。上下2段の花押のうち、上の印は。出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)、下の印は仙台藩医・木村寿禎の落款(印譜)


「自筆の画像断層(MRI)写真」

(出品した自筆の「断層画像写真」(総角の巻)MRI 47―86B
自筆下二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款


「源氏物語」「総角の巻」主人公・総角の資料

下記写真は、国宝「源氏物語絵巻」の中に描かれる大君・中の君姉妹。

左側が琵琶と筝を奏でる大君・中の君姉妹、右が姉妹を覗き込む薫の君




「天皇の曽祖父・大炊御門宗氏の系図」「額縁裏面表記ラベル」
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」


1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
4番目の写真は、天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行



大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵(断簡)を出品
商品説明(来歴)大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の旧所蔵である。近衛基熙は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を書いてある。出品した大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに近衛家から出雲松江藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)に伝わり、方子の生家である仙台藩から同藩の藩医・木村寿禎に伝来していたものである。

漢詩文原文上部に「香煙引到楚香処」(香煙引き到る、楚香の処)の漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。
源氏物語「総角」原本に記されております。紫式部が「総角」を書くに際し、「白氏文集」の漢詩を熟読したうえで「源氏物語」の「総角の巻」を書いていることがわかります。この原詩の言葉の引用は、「総角の巻」に用いられていることで広くしられている。紫式部がこの原詩に親しんでいたと推定されている。

漢詩の落款の意味原本上部の漢詩の落款は、「讃」と称されるもので、古来、掛軸の書画に第三者がお褒めの言葉を書き込むもので元々は自筆でした。貴族から始まり藩主、あるいは高名な茶人や僧侶が書かれて、それが茶会の「掛軸」に装丁されて披露されておりました。 特に出雲・松江藩などの茶道の盛んな大名家の所蔵する自筆などに「讃」が付され、後に自筆に代わり、石刻による「漢詩」の篆書が「讃」として用いられました。 「茶事」は、「ヨーロッパの晩餐会(ばんさんかい)」とも言われます。晩餐会では、「ワインを楽しむために行われる」ところも似ています。とりわけ、茶室に入って行うことは、床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)することです。茶道では「掛け軸は最高のごちそう」といわれております。とりわけ、漢詩の落款は、ただ、古典の漢詩を入れればいいという単純なものではなく、たとえば、「源氏物語」の場合、原本の中に込められている紫式部が考えた知識を読み解くことにあります。「讃」の中に有名な白楽天の漢詩を単純に落款として入れたのではなく、紫式部が原本の中に白楽天の漢詩を読み込んでいることを知ったうえで漢詩を選んでおります。 落款の「讃」の元になるその原文の個所には、
「香煙引到楚香処」(香煙引き到る、楚香の処)の漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。


自筆の希少価値について自筆の稀少価値は、和紙の生成技法の緻密さにあります。上の「拡大断層(MRI)写真」でわかる通り、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がるように「源氏物語」の文字が記されております。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。撮影後、展示のために再表装をしております。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。

断層(MRI)写真従来、日本の古美術の鑑定の際の分析・解析は、エックス線写真、赤外写真、顕微鏡が中心です。一方、アメリカやイギリスでは研究が進み和紙の組成状況を精確に分析・解析をするために断層(MRI)写真が利用されており、今回の出品に際し、「断層(MRI)写真」を資料として出しました。本物を見分けるための欧米の進んだ分析・解析技術を見ることができます。

寸法「源氏物語」自筆の大きさ タテ21.8センチ ヨコ12.8センチ。額縁の大きさは タテ37.0センチ ヨコ28.0センチです。額縁は新品です。

「源氏物語」の自筆について1・筆跡の分析について
 国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。

2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。

3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。

4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。母は後水尾天皇皇女女二宮。実母は近衛家女房(瑤林院)。幼名は多治丸。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている

HP近衛基熙・旧所蔵「源氏物語」自筆を出品いたしました。出品以外の所蔵品を紹介した出品者のホームページ「源氏物語の世界」をご覧ください。

ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。


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商品の説明

源氏物語 第四十七帖 総角 第四章 中の君の物語 匂宮と中の君
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日本外史之内 後醍醐天皇神器ヲ奉ジテ逃ル 三枚続 | 山星書店 浮世絵
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天皇家の“ふるさと
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最新のクチコミ

★★★★

高齢な両親に年末のギフトとして送りました。伝票に小さく要冷蔵とある以外何も明確な要冷蔵との明記がなく1日たってから商品を開けたたため食べれないようだと連絡がきました。保冷剤も入っておず今回は残念ながら無駄になってしまいました。たのお店に今までお願いした際は通常要冷蔵のシールが貼ってあるためこういったトラブルはないものでした。残念です。お店の方の対応も誠意のないものでした。 コロナ下ですぐに箱をすぐ開けないようにしていたこともありますが色々な方が受け取る贈り物です。お店の方の対応にも疑問を感じました。

  • h-piano69
  • 28歳
  • アトピー
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購入品

★★★★★

本当に活がよく、仲間での評判が最高でした。 いろいろな調理で食べ、どうやって食べても美味しい! こんな幸せありませんね!!!

  • とまと2691
  • 36歳
  • アトピー
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★★★★

生きてたので!!! 凄く有難く頂きました!!! コリコリ 煮物は柔らかく 本当に美味しかったです

  • くみ2682
  • 24歳
  • アトピー
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★★★★★

大きさやお味も最高ですし、ショップ様の対応も素晴らしく安心してお願いできると思います。

  • けんちゃら50
  • 32歳
  • アトピー
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★★★

最高。4度目くらいのリピートしている。味もとてもおいしいし、なにより、購入先の配慮がすごい。丁寧。来年も2度くらい購入しようかと思っている!

  • まつなか6552
  • 40歳
  • アトピー
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★★★★★

娘に腹帯でお祝いで夫婦鮑 生きており大きくて写真撮りました。 とても新鮮でお刺身にしてペロリと頂きました。 本当美味しかった。 また、購入したいです

  • Peco8552
  • 28歳
  • アトピー
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★★★★

縦約6センチ思ったより、小さ目です。 煮汁を使って、1個は中華粥にしようと思います。 賞味期限が半年以上あるので、じっくり堪能させてもらいます。

  • ゆーたろ0425
  • 36歳
  • アトピー
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★★★★★

久々にぜいたくをさせてもらって満足しました。あわびに味が良くしみ込んで美味しかったです。お皿の上にあわびの貝がらを置き、スライスしたあわびを並べて、周りを野菜で囲みました。たっぷりの汁も野菜の煮物に使いました。

  • rakuten2851
  • 44歳
  • アトピー
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★★★★

中国産だったのですね、、、 てっきり北海道で取れたものかと 見逃した自分がバカでした。 届いた物は9個入りの小さな物でした。 バター焼で食べましたが、 身は柔らかく、味はなんとなくぼんやりしてるような、、、 安いメスの方ですかね。 肝の味は更にイマイチだった。 ホントに刺身でも食えるのかな? 幸いにも腹痛等は起きませんでした。

  • 2020ゆきのあさ
  • 32歳
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★★★★★

塩水密封で新鮮なまま届き、肝も食べて大丈夫そうで嬉しく開封しました。 調理しようと洗い始めたら、ムカデの様な生きた虫が飛び出て、流し台で動き回り、すごく驚き、慌てました。 私だけの秘密にしておかなければならない出来事で・・気分を支えながら、お刺身に作りました。 正直な所、私には、味の記憶は残りませんでした。いまだに微妙な暗い気持ちです。

  • ちー空
  • 40歳
  • アトピー
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★★★★

思っていたより大きかったです。値段的にも安く味も良く、歯ごたえの中に柔らか味もありおいしくいただきました。梱包もとても丁寧にしていて感心しました。

  • 氷あずき
  • 48歳
  • アトピー
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★★★★★

中村家の三陸海宝漬、いつも仙台出張の帰りに仙台駅で買って帰っていた、あの海宝漬が今回出ていたので、思わず買ってしまいました。ご飯にかけて食べたら、いくらでも入ってしまう美味しさ。今回正月用に買いました。今から楽しみです。

  • cosi0210
  • 36歳
  • アトピー
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